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所長

2 究極のストレリチア ジャンセア Strelitzia juncea

更新日:11月13日

◯理想の姿 ジャンセア

 あるべきはずの葉がなく、葉柄だけの奇妙な姿のストレリチア、私は、そこに進化を重ねて最後に到達したストレリチアの姿を見る。この植物を一部の人々が、ノーリーフ或いはノン・リーフと呼んだが、これは、日本製の英語であって世界には通用しない。強いて言えば「リーフレス ストレリチア」、つまり、有るべきはずの葉が欠けているという表現。これなら立派に通用する。心すべきであろう。無いと欠けているとでは意味が違ってくるのである。  ストレリチアは、葉も茎も硬く、病害、虫害にも強く、根茎に水を貯めているために、乾燥に耐え、少々、水やりを忘れた程度ではビクともしない。寒さにもある程度は耐え、0℃近くまでは保つが、さすがに「レギーネ」だと葉だけは凍ってしまう。「ジャンセア」は、この弱い葉の部分が欠けているのである。暑さ、寒さ、強風、病虫害、乾燥に耐えるとあれば、これ以上、気楽につき会える植物は、そうそうあるものではない。道楽の果て、最後に行き着く植物、それが、この「ジャンセア」と言えるだろう。

◯ストレリチアの旅路 

レギーネ自生地 プルートの谷

 それでは、このストレリチアがどのように誕生し、進化の道をたどって現在に至ったのだろう。学術的に調査・研究がされた結果では無いので推論でしかないが、大きな間違いでは無いと確信して進めてみよう。  被子植物が地球上に誕生したのは、約1億年前の白亜紀、つまり恐竜の時代とされる。だからストレリチアも数千万年前にアフリカ大陸に生まれたと見てよいであろう。当時の気候は温暖、湿潤だったから、ストレリチアの姿は、今の「ニコライ」のような大柄な有茎種であったことだろう。今もこの後継種が自生しているが、各々が海岸沿いの水の多い地域か、内陸でも湿潤な気候の地域に、「ニコライ」、「アルバ」、「コウダータ」と3種に分かれて存在している。  その後、約1千万年前頃になると、アフリカ大陸は乾燥化が進行してきた。乾燥した地域のストレリチアは、そのままでは生きて行くことが困難となってしまったのである。因みに、人類の先祖も同じ境遇に立たされた。人類の先祖は、木から草原に降り立って直立二足歩行に進化したとされるが、自分の意志で木から降りたのではなく、乾燥した気候で、森が無くなってしまった、というのが実態ではなかったろうか。  そこで、大柄なストレリチアは姿を縮小し、葉も茎も硬く丈夫に、根茎を太らせて水を貯めることができる構造に進化して生き残ったのではないだろうか。花色も大型種はみな白色だが、広々とした草原で、受粉のために小鳥に来てもらうには、よく目立つオレンジ色に染まることになった。これが、ストレリチア「レギーネ」の誕生である。

◯ジャンセアの自生地

「レギーネ」の自生地は数多くあるが、「ジャンセア」の自生地は、現在では3ヶ所しか残っていない。

1 ゲランセ峡谷のコエガコップ

 ポートエリザベスの市街から北西へ約15kmにある。元々、わずかな数しかなかったジャンセアだが、何しろ市街に近いために盗堀が進み、1975年に訪れた時には、すでに絶滅してしまっていたので、詳細は分からない。

2 ユイテンハーグ自生地

 ポートエリザベス市の北、約50km、ユイテンハーグの町の北、約16km、ステートラーヴィル街道が自生地を縦断していて、両側の長さ約200m、奥行き約20mのブッシュに、ジャンセアの特大株ばかりが散在している。ここが、最も大きなジャンセア自生地で、また、最も古い自生地と言えるのではないだろうか。

ユイテンハーグ 自生地

3 ブルークリフとすぐ隣りのブラックヒル 

 ユイテンハーグのジャンセア自生地から東に約15Km、ブルークリフに近いブッシュ の中に、ジャンセアのわずかな数の自生が見られる、ここのジャンセアは、ユイテンハーグの自生地と比べるとやや若く、大株は少ないので、後からできた自生地と思われる。

ブルークリフ自生地

4 パテンシー、ヴェンスターホーク・ファーム

 ポートエリザベスから西へ、ケープタウンへ向かう国道を約60km、コウガダムを 目指して右折して35km、むき出しの崖の一部に、「レギーネ」、「パーヴィフォアリア」、「ジャンセア」が同居している興味深い自生地がある。それでも「レギーネ」は中腹に、頂上の乾燥した場所には「ジャンセア」と住み分けている。  ファン・ダ・フェンダー教授は、ここで「レギネー」が「パーヴィフォリア」、そして「ジャンセア」へと進化したのではないかと推論している。つまり、ここで「ジャンセア」が生まれ、約60km東のユイテンハーグへ移住したのではないかとのことなのだ。ユイテンハーグもブルークリフでも、あるものはジャンセアだけで、「レギーネ」も「パーヴィフォリア」も見当たらない。移住者だからに違いない。  この推論は、大いにそそられる。それというのは、ここ、コウガマウンテンのふもと一帯は、植物の変わり種が他にも誕生しているからである。コウガダムの岸辺の断崖には、アロエの珍種「ピクチフォリア」が、ここだけに自生している。この種は、東ケープ一帯に自生する「ミクロスチグマ」にそっくりで、そのまま、縮小したような姿をしているのである。つまり、この地域は、植物の突然変異を起こし易い何かが存在するのではないか?私見ながら、地中にウラニウムが埋蔵されていて、その放射線によって起きた変異なのかと思われる。 つまり、ここで生まれた「ジャンセア」が、乾燥が進んだ地域に進出できる体を備えるに至ったということではないかと思うのである。因みに「レギーネ」の自生地の年間降水量は、500ミリ、「ジャンセア」の自生地は、300〜400ミリである。


パンテンシー自生地

◯究極の究極ストレリチアは、ジャンセア黄色種

 南アフリカのインド洋沿いの東ケープ州のポートエリザベスは、現在では人口100万人を超える大都市に発展しているが、1820年、ケープ植民地を得たイギリスから、約5,000名の移住民が上陸して築いた町なのである。市街を見下ろす高台に、これを記念して作られたセットラース・パークがあり、今でも市民に親しまれている。公園の植栽は、ストレリチアの自生地を控えているだけに、至る所にストレリチアが植えられているが、その中に目立たないながらも、ストレリチアに関心がある人なら、見逃すことが出来ない一角がある。  近くにある自生地から選び抜かれて集められたストレリチアが、ひっそりと植えられているのである。近寄って、よく観察すると広葉、細葉、株の高低、苞の色の変化と様々である。その中の白眉が「ジャンセアの黄色種」だった。どうしても欲しくてたまらず、無理を願って、掘り上げ、株分けをしてもらって持ち帰ったのだが、その操作に手違いがあったらしく、残念ながら、これだけが枯れてしまった。残念な出来事だったが、それでも「レギーネの黄色種」の方が改良を急がれていたので、「ジャンセア」の方は長い間、放置されたままになっていた。  それが、2001年、私にとっては最後の南アフリカ訪問の際に、ナーセリーにて声をかけられ、入手した3本の苗から、再度のスタートが始まったのである。  話を聞いてみると、近頃、南アフリカでもストレリチアの優良種を探す動きが出て来て、セットラーズパークの「黄色ジャンセア」を、増殖しようと種子を採って育てた苗とのことであった。実は、以前から、この株は不稔性で種子が自家受粉では出来ないこと、黄色種はこれ一株しかなく、他家受粉となれば相手は全部オレンジ色だから、一代目は、全部オレンジ色になることを私は知っていた。だから、この苗の片親は黄色ではなくオレンジ色の「レギーネ」か「ジャンセア」であろうと思ったのだったが、「待てよ。それでも半分は黄色の遺伝を持っているのだから、次の方法はあるはずだ。」と持ち帰ったのである。  帰国後、数年してから、その苗が開花したが、やはり、オレンジ色で、葉の小さい「パーヴィフォリア」だった。苞が赤くて美しいのと、花立ちが特に良いのが取り柄で、この後は2代目、3代目と代を重ねて、メンデルの法則に助けられ、ようやく黄色種の苗の育成を見ることが出来ている。  振り返ってみれば、苗を持って来たのが2001年、今年は2022年、すでに20年を超えている。ストレリチア と付き合うのは、息の長い仕事である。それでも、これだけ手数がかかったのは当然だと思っている。それというのは、この「黄色ジャンセア」の親株は、花弁(実は萼)の色が黄色であるというだけで、苞の色は寂しい緑色で、まるっきり冴えない花なのだ。黄色の子どもだけを作ればよいのではない。苞の色の改良もしなくてはならないのだ。これがレギネーの黄色種「ゴールドクレスト」の時とは、大きく違っていることなのである。  ともあれ、「ジャンセア」の黄色種が紹介できるということは、苗が出来たということであり、当分の間、少量の苗しか出来ないので、一般に広まるのは随分と先のこととなるだろう。何にしろ元の親株が不稔性の遺伝を持っている。このために、これは良い親株として使える、と狙いをつけても、その花に限って不稔性で、種子を持つことが出来ないのが多い。これが解決出来るには、まだ10年以上の年月は必要と考えている。

セットラーズパーク











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